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昭和12年(1937)3月22日 読売新聞が主催する、南禅寺の戦い(阪田三吉無段対木村義雄八段戦)に次ぐ京都決戦第2局、阪田三吉対花田長太郎八段戦は嵯峨天竜寺の大書院で始まった。
七段当時、香平で2連勝している花田の▲7六歩に阪田はまたも、しかし木村戦とは逆側の△1四歩で戦いを始める。2日目から花田が発熱、4日目からは阪田も食事がのどを通らぬ状態になり持ち時間30時間の対局は凄絶な戦いになったが、7日目の28日夕刻、寄せの花田が手堅く169手で制した。
本局では封じ手の方法が、その日の終了時に手番になった者が封じるよう変更された。これは現在のタイトル戦にも継承されている。
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昭和48年(1978)2月28日、土居市太郎名誉名人が肺がんのため85歳でこの世を去った。
明治20年(1887)11月22日、愛知県三津浜生まれ。明治40年(1907)福岡県門司の将棋大会で関根金次郎十三世名人に見出されて門下に。明治42年に将棋同盟会に参加し大正6年に八段昇段を巡って師と袂を分かったのち自ら将棋同盟社の盟主に納まる。軽快なさばきを得意とする天才的な棋風で、大正中期以降は事実上の第一人者として君臨した。
昭和29年(1954)4月1日、名誉名人の称号をうけ、昭和45年(1970)4月29日棋界初の勲四等瑞宝章を授賞。門下に金子金五郎九段、萩原淳九段、大内延介九段らが居る。

金名誉九段逝く

昭和55年(1980)7月23日。大正、昭和に活躍した金易次郎名誉九段が89歳で世を去った。
明治23年(1890)秋田県西馬音内町生まれ。初め井上義雄八段の教えを受け、後に関根金次郎十三世名人の門下となる。
大正13年に八段に昇段。棋風は人柄そのままに堅実な守勢を好み、特に左香落ち番の「3四銀戦法」に造詣が深かった。
昭和29年4月1日、初の名誉九段の称号を受け、昭和45年11月3日、勲四等瑞褒章を受ける。
弟子に高柳敏夫名誉九段、孫弟子には中原誠十六世名人らが居る。
昭和17年(1942)7月13日のこと。
太平洋戦争の最中、第3期名人戦第1局は11日から3日間、東京・小石川の「将棋大成会本部」で行われた。木村義雄名人に挑戦権を得たのは神田辰之助八段。互いに飛車先を突き、神田必勝で終盤を迎えたが既に秒読みとなった神田は「50秒・・55秒・・」たまりかけた木村が「神田君、時間だよ」。
あわてた神田が指した手は大悪手で負けてしまった。神田は木村に対しては烈々たる闘志で立ち向かえ、数々のエピソードが生まれている。これはその一つ。
結局、4連敗した神田はその後、血を吐いて倒れ、翌18年9月6日に帰らぬ人となった。
昭和19(1944)年3月6日、小菅剣之助名誉名人が79歳で亡くなった。
慶応元年(1865)1月、現在の名古屋市に生まれ、伊藤宗印に入門。
屈指の実力を誇り宗印に娘婿にと望まれるが米相場で失敗した父の無念を晴らそうと30歳頃から実業界に転じ中部・東海地方で成功。四日市鉄道、東海電気等の取締役を務め、地元四日市に多くの慈善事業にも尽力、衆議院議員にもなった。
昭和11年11月棋界初の名誉名人を贈られた。

井上義雄八段死去

大正九年(1920)8月4日、13世名人候補にも挙げられた、明治時代を代表する棋士の1人、井上義雄八段が心臓麻痺で死去した。
1865年(元治2年)京都府伏見町の有名な扇子屋に生れる。本名は池上益太郎、前名は武雄。
16歳で大阪の小林東伯斎八段に入門し、二段免許。
明治27年(1894)七段、明治39年(1906)八段。囲碁も初段の腕前。
明治40年(1907)10月、神戸で関根金次郎八段と対戦。当時八段同士の平手戦は珍しく、人気を博し、関根とともに萬朝報をバックに将棋同盟会の結成に参加したが、翌年離脱して国民新聞に拠り新しく将棋同志会を結成。小野五平12世名人死去後、関根は井上を13世名人に推していた。
明治30年7月6日(1897)のこの日、終盤の切れ味鋭く「終盤の花田」と呼ばれた花田長太郎九段が北海道函館にて生まれた。
大正3年関根金次郎13世名人の門下生となり、同6年四段、同14年八段。
昭和12年、いわゆる京都「天竜寺の一戦」で阪田三吉を破った。同年第1期名人戦八段リーグで木村義雄八段に敗れ2位となる。同21年初の順位戦にA級で参加、22年度は3位になり、第7期では名人挑戦者決定戦出場資格を得ながら23年2月28日、肝硬変のため51歳で死去する。
昭和37年6月17日追贈九段。
弟子には塚田正夫名誉十段、坂口允彦九段、広瀬久雄九段、荒巻三之九段がいる。
明治11年6月24日(1878)木見金治郎九段が岡山県児島郡に古鉄商の長男として生まれる。
大野源一九段、升田幸三実力制第四代名人、大山康晴15世名人ら名棋士を育て関西棋界の大御所として人望を集めた。
9歳の時、家族は神戸に進出、ここで家業を手伝うかたわら将棋に熱中、大正3年37歳で古鉄商をたたみ東京の関根金次郎13世名人に入門。大正13年8段に昇段。昭和10年、58歳で最初の名人戦リーグに関西からただ一人参加、徹底的な受け将棋の棋風で2勝13敗と惨敗だった。昭和26年1月7日、74歳で世を去る。
昭和37年6月17日、贈九段となる。

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