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慶応4年・明治元年(1868)4月1日、関根金次郎十三世名人が千葉県東葛飾郡二川村(現・関宿町大字宝珠花)に生まれた。
11歳の頃、八代伊藤宗印の門をたたえて専門棋士を志した。以後各地を歩いて修行を積んだ。明治24年(1892)に伊藤宗印に飛車落ちを指してもらい四段を許された。その後関西に出向き阪田三吉と対戦、生涯の好敵手となった。
明治38年(1905)八段昇段。大正10年(1921)1月29日の小野五平十二世名人の死去に伴い、5月8日54歳で十三世名人に就いた。
昭和10年(1935)2年後の引退を表明し実力名人制に踏み切る。戦後の昭和21年(1946)3月12日77歳で逝く。
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昭和21年(1946)3月12日、関根金次郎十三世名人が逝った。享年77歳。
明治元年4月1日、千葉県東葛飾郡に生まれ、12歳で伊藤宗印11世名人門下になる。関西の雄・阪田三吉贈名人と名勝負を演じ、棋界中興の祖となった。
明治38年八段昇段。大正10年小野五平12世名人の死去により53歳で十三世名人に就く。
昭和10年、2年後の引退を声明し実力制名人の実施に踏み切る。昭和11年将棋大成会会長をも務める。
大正2年(1913)12月16日
小野名人、関根を破る。
東京市京橋区築地の料亭「新喜楽」で82歳の小野五平12世名人と、指し盛り45歳の関根金治郎八段が初めて対局する将棋会が開かれた。手合いは「左香」では無く、平手に近い異例の「右香落ち」。
誰しも関根の一方的な勝ちを信じたが、予想は外れた。高齢の小野が積極的に4筋から先攻、関根の疑問手に乗じ、角交換の強手から飛車を切って捨てる荒業を見せて関根に反撃の機会なく、同夜11時、89手にて関根が投了した。
棋譜は翌14年1月、東京日日新聞に連載され小野ファンを喜ばせた。後年刊行された「小野五平実践集」には、指し手に詰までの6手を加え95手と記された。
この対局、後日談があり高齢の小野名人に対し、気力、体力も勝る人情家の関根が名人に花を持たせた一局といわれる。関根はとにかく「ひとの良い棋士」であった。

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