昭和57年(1982)7月31日、加藤一二三十段が中原誠名人に挑戦した第40期名人戦は、1持将棋2千日手と名人戦史上に残る大激闘となり、決着の付く10局目を迎えたのは真夏の7月30〜31日だった。
日本将棋連盟特別対局室に盤を挟み、相矢倉に進んだ将棋は終盤まで優劣不明の難局だったが、105手でついに加藤が勝ちきった。八段昇段以来実に25年目の名人獲得だった。
しかし、翌年加藤以来の中学生棋士になった谷川に挑戦され、その地位を奪われるとは、誰が想像したであろうか。
昭和43年(1968)7月19日
第12期棋聖戦(前期)5番勝負は中原六段が、34歳の山田道美棋聖に挑戦した。
前期も挑戦したが2勝3敗で敗れての連続挑戦だった。
中原が2勝を挙げて迎えた第4局は7月19日、東京・将棋会館で行なわれ、相矢倉に進み、将棋は中盤で山田に失着があり中原が118手で勝った。当時の最年少タイトルホルダーになった。
山田はこの時、お祝いにシューベルトのレコードをプレゼントしている。

半二

二枚落ちと飛香落ちの2番1組の手合いのこと。
棋力は1〜2級と言われる。
明治30年7月6日(1897)のこの日、終盤の切れ味鋭く「終盤の花田」と呼ばれた花田長太郎九段が北海道函館にて生まれた。
大正3年関根金次郎13世名人の門下生となり、同6年四段、同14年八段。
昭和12年、いわゆる京都「天竜寺の一戦」で阪田三吉を破った。同年第1期名人戦八段リーグで木村義雄八段に敗れ2位となる。同21年初の順位戦にA級で参加、22年度は3位になり、第7期では名人挑戦者決定戦出場資格を得ながら23年2月28日、肝硬変のため51歳で死去する。
昭和37年6月17日追贈九段。
弟子には塚田正夫名誉十段、坂口允彦九段、広瀬久雄九段、荒巻三之九段がいる。

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