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木村引退

昭和27年(1952)8月24日、物故棋士追善将棋大会の席上で現役引退を表明した。47歳であった。
将棋連盟は不世出の大名人を即日「十四世名人」に推挙した。
第一期王将戦では三番手直りを採用、升田八段に香落とされに指込まれ王将位を逃し、第11期名人戦では大山の挑戦を受け1勝4敗で敗退するなどその去就が注目されていた。
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昭和32年(1957)8月11日のこの日、升田新名人就位披露会と引退棋士慰労会が東京・浅草「伝法院」で開かれた。
王将と九段位を手中にした升田はこの年大山康晴名人に挑戦。波に乗る升田は7月11日の第6局に勝ち4勝2敗で名人位を奪取、3大タイトルを独占し史上初の三冠王に輝いた。

井上義雄八段死去

大正九年(1920)8月4日、13世名人候補にも挙げられた、明治時代を代表する棋士の1人、井上義雄八段が心臓麻痺で死去した。
1865年(元治2年)京都府伏見町の有名な扇子屋に生れる。本名は池上益太郎、前名は武雄。
16歳で大阪の小林東伯斎八段に入門し、二段免許。
明治27年(1894)七段、明治39年(1906)八段。囲碁も初段の腕前。
明治40年(1907)10月、神戸で関根金次郎八段と対戦。当時八段同士の平手戦は珍しく、人気を博し、関根とともに萬朝報をバックに将棋同盟会の結成に参加したが、翌年離脱して国民新聞に拠り新しく将棋同志会を結成。小野五平12世名人死去後、関根は井上を13世名人に推していた。

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