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塚田名誉十段逝く

昭和52年(1977)12月30日塚田正夫名誉十段が現役のまま、病魔(がん性腹膜炎)によって死去した。
享年63歳。
大正3年(1914)8月2日、東京都文京区に生まれる。
1927年、故花田長太郎九段に入門。
1932年四段、1947年第6期名人戦で木村義雄を4勝2敗1持将棋で破り初タイトルで名人を獲得。第8期で木村に奪回される。
1952年から4期連続で九段位に就き、1954年永世九段に。
他タイトル戦登場4回、棋戦優勝4回。
1974年から76年に将棋連盟会長を務める。
1975年秋、紫綬褒章受賞。
1978年1月16日連盟葬、同日付けで名誉十段。
勲四等旭日小受賞。1989年実力制第二代名人
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大正2年(1913)12月16日
小野名人、関根を破る。
東京市京橋区築地の料亭「新喜楽」で82歳の小野五平12世名人と、指し盛り45歳の関根金治郎八段が初めて対局する将棋会が開かれた。手合いは「左香」では無く、平手に近い異例の「右香落ち」。
誰しも関根の一方的な勝ちを信じたが、予想は外れた。高齢の小野が積極的に4筋から先攻、関根の疑問手に乗じ、角交換の強手から飛車を切って捨てる荒業を見せて関根に反撃の機会なく、同夜11時、89手にて関根が投了した。
棋譜は翌14年1月、東京日日新聞に連載され小野ファンを喜ばせた。後年刊行された「小野五平実践集」には、指し手に詰までの6手を加え95手と記された。
この対局、後日談があり高齢の小野名人に対し、気力、体力も勝る人情家の関根が名人に花を持たせた一局といわれる。関根はとにかく「ひとの良い棋士」であった。
昭和12年(1937)実力名人を決めるため、1年半前の昭和10年6月から7人の八段によって争われていた「名人位決定八段リーグ戦」も12月5~6日神奈川県湯河原「天野屋」で行われる千日手指し直し局で、ついに最終戦を迎えた。

ここまで12勝2敗の木村義雄八段と、13勝1敗の花田長太郎八段の対局が決着を見たのは、日が変わって7日午前1時25分。先手の木村が105手で勝利を収め、13-2で並んだ。ところが「差が8点以上の場合は無条件で1位」の規定が存在していた。
普通棋戦との総合得点が103.7の木村に対して、花田は95.6。差は8.1Pある。これにより32歳の木村が初代実力名人の座に輝いたのだった。
花田が勝てば改めて6番勝負となるはずだったが、勝利の女神は「木村」選んだのだった。

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