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大正10年(1921)1月29日、東京市京橋区元数奇屋町で小野五平十二世名人が89歳で死去。
明治33年(1900)5月27日、69歳で十二世名人就位。大橋、伊藤家以外から初のそして最後の終身名人だった。
天保2年(1831)徳島県美馬郡脇町出身。生家は「木五旅館」を営み、木屋五平と名乗る。
19歳頃、江戸に出て棋聖天野宗歩に師事、尾野と当時は名乗った。
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二上、棋聖位奪回

昭和56年(1981)1月28日、一度は手にした棋聖位だったが大山、中原の前に4度、5度と屈し復位の叶わなかった二上達也九段が米長邦雄棋聖に挑戦したのは第37期棋聖戦でのこと。
五番勝負は、二上が2勝1敗とリードして第4局を静岡県伊豆山の「美晴荘」で迎えることになった。
先手番二上は居飛車、米長は四間飛車の将棋は、二上の指してが冴え渡り85手の短手数で決着した。
1966年の第8期(大山を3勝1敗で下す)から15年ぶりの返り咲きとなった。この時、49歳であった。
この後、二上は中原、加藤の挑戦を退け計4期棋聖の座に就いている。
昭和31年(1956)1月20日
大山康晴王将・名人を相手に升田幸三八段が三連勝で迎えた第5期王将位決定戦指込み7番勝負第4局は1月19、20日東京・赤坂「比良野」で行われた。
当時は3勝か4勝1敗でタイトルは移動するものの、7番は戦う敗者に厳しいルールで「勝負」ではなく「将棋」とされた。
升田は第1局角換わり、第2局相矢倉、第3局新旧対抗型を三連勝で飾り4期ぶりに返り咲いた。
そして香落ち番の第4局にも四間飛車、111手で大山名人を退けた。「名人に香を引いて勝つ」という子供の頃の夢をついに実現させたのだった。第5局も升田が平手で勝っているが第6、第7局は病気により指されることはなかった。
が真相は、名人の地位を汚すことを憂慮して、仮病だった。
という「升田流の苦悶の【次の一手】」説がある。

クロガネ

平成2年(1990)1月18日、強靭な棋風でクロガネの異名を持つ坂口允彦九段が肝硬変のため死去した。
享年81歳。明治41年12月10日、北海道日高町に生まれ。
昭和2年故花田長太郎九段門、昭和6年四段、同7年五段、同9年六段、同11年七段、同13年八段。
初段から10年で八段は当時異例のスピード昇進だった。
戦後は順位戦第1期のあと、A級のまま昭和22年から3年間チェスに転向で休場し、昭和25年復帰、同26年産経杯戦で優勝。
A級は通算8年、昭和27年から連盟会長も務める。昭和50年九段、同56年勲四等瑞宝章受賞、同年勤続50年棋士として表彰される。昭和60年(1985)4月1日引退。弟子に佐伯昌優九段、孫弟子に中村修九段、北浜健介七段がいる。

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