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昭和54年(1979)5月1日、升田が引退した日だ。
新手一生、将棋の虫、棋界の風雲児・升田幸三実力制第四代名人がその人。
大正7年(1918)広島県三良坂町で誕生。昭和7年(1932)木見金治郎九段門。
昭和11年(1936)四段、昭和22年(1947)八段、昭和33年(1958)九段。
昭和27年(1952)第1期王将戦で木村義雄名人を半香に指し込む。さらに昭和31年(1956)第5期では大山康晴名人を指し込み、香落ち番も勝つ。
昭和32年(1957)には名人、王将、九段を制し史上初の全タイトル獲得、三冠王となった。
 タイトル戦登場23回、獲得は名人2回、九段2回、王将3回の合計7期。
棋戦優勝6回、名人・A級連続32期。昭和48年(1973)紫綬褒章受賞。昭和63年(1988)4月実力制第四代名人の称号を受ける。平成3年(1991)4月5日心不全のため死去。享年73歳。
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昭和51年(1976)4月22日、米長邦雄八段が中原誠名人に初挑戦した第35期名人戦七番勝負第2局は4月22、23日、京都市の「栗田山荘」で行われた。中原先勝後の第2局は過去千日手とされた相矢倉の定跡に▲6八銀左の新手を放って見事121手で中原を破り、シリーズを大いに盛り上げ第七局までもつれ込んだ。しかし米長の健闘も空しく結局4勝3敗で中原が防衛した。棋力差はやはり中原が一枚上手であった。
昭和35年(1960)4月14日、第19期名人戦は史上最少、弱冠20歳の加藤一二三八段が大山康晴名人に挑戦した。

第一局はは東京・渋谷の羽沢ガーデンで行われた。先番の加藤が大山得意の矢倉戦に果敢に挑み、翌15日夜115手で見事に初戦を飾った。
14歳で四段に昇段した加藤はノンストップ、18歳でA級八段に昇るという神武以来の天才ぶりを発揮、また20歳で結婚、と同時に名人挑戦を果たすなどすべてが記録破りだった。だが、二局目から4連敗で挑戦は失敗。加藤の「天才」をもってしても再び名人戦に登場するのは13年後、そして名人の座を射止めたのはさらに9年後の昭和57年(1982)のことだった。
昭和40(1965)年、大山康晴名人に山田道美八段が初挑戦した第24期名人戦は4月8・9日の両日、東京・渋谷の羽沢ガーデンで始まった。

先手大山が予想通り中飛車に振れば、山田は研究通り5五位取り戦法で対抗。
このとき山田は指し盛りの31歳打倒大山に燃えており、中飛車対策は万全の研究が用意され、事実、序中盤は指しやすい感じさえあった。だが、しゃれた手に目を奪われ簡単な応手を見落としてしまう。結局、山田は1勝4敗で敗退。名人の研究を超えた強さを肌で実感させられた。

しかしその後、打倒大山にさらに執念を燃やし、2年後の第10期棋聖戦ではついに宿願の棋聖位を奪取する。

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